同じ銃で同じ弾が使えない自体で、もう無理です。
日露戦争からの三パチ銃で行くところはもうある意味賞賛です!
極マレに凄い命中率のがあったのかな?
米軍が拠点制圧するとき、まだ残弾あるのに旧日本軍は刃物で突撃してきたらしいです。ここが、ずっと疑問だったのですが、一つ一つの銃に合わせた弾の調整がいるみたいらしく弾はあれど使えない事がわかった時は、凄いショックでした。
日露戦争で引き分け以上の戦果があったのが、日本を駄目にしたんでしょうな・・・。
日露までは、勝ち目なしの時は降伏して捕虜になるように指示あったらしいですよ。戦後に捕虜開放になって帰ってきた人がいて、その人の肉親は死んだと思っていたので家庭内の事情でイザコザがあったらしいです。
家庭内のイザコザで、その人が自殺したんです。それを報道が名誉の自殺みたいに祭り上げて、捕虜になって帰ってくる屈辱より死を選んだ凄い人みたいにされたらしいです。
それから捕虜になるくらいなら死を選ぶのが軍人だ、みたいになったらしいですよ。